岡本眞ブログ
2021.06.02
小椋佳のスペシャルライブ 「もういいかい ファイナル」
先日、NHKBSで今年で歌手生活から引退する小椋佳のレコーディングを密着し、創作の苦悩に迫る本人のドキュメンタリー番組を見ました。
僕の兄と同世代の小椋佳、銀行員と兼業でシンガーソングライターとして華々しくデビューしたのが50年前というから月日の移り変わりはまことに早いものです。
高校時代には「人生は何をするためにある?」と真剣に考え、悩み抜いたという。一時はそお答えが見つからず自殺も考えたとのこと。
そういう若者が簡単に東大を受かってしまうのだからただ者でない。
両親は琵琶奏者で義太夫を語り、演じていたとか。やはり血は争えないものです。生まれつきのDNAですね。
確かに小椋佳の歌詞には通常の歌謡曲によくある好いた別れたの、の言葉とは違う、深く難しいことばが歌詞に並んでいます。
彼は自ら「詩人」と言い、詩は言葉が言葉を生む縁語で成り立つと言う。
海と言えば小舟・小島・潮騒・カモメ・汽笛・白いシャツ・サンダル・小麦色の肌、、、、という具合にどんどん連なるそうだ。
特筆すべきは、「愛 燦燦」の歌詞です。
雨 潸々(さんさん)と この身に落ちて、、、
、、人は哀しい 哀しいものですね。
風 散々(さんさん)と この身に荒れて、、、
、、、人はかよわい かよわいものですね。
愛燦燦(さんさん)と この身に降って、、、
、、、人はかわいい かわいいものですね。
ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う
人生って 不思議なものですね。
ああ 未来達は 人待ち顔して微笑む
人生って うれしいものですね。
どうですか。この言葉の響きは、何とも不思議なくだりとメロディですね。
言葉、一つ一つに気負いがなく、共感できます。
単語自体はとても難しいが、縁語が連なるととてもイメージしやすい、しかも「そうそう、わかるわ~」と引き込まれてしまう。
小椋佳のあのどちらかというと抑揚のない、ほんわか~とした歌い方にはまってしまう。一方で言葉のじわ~とした味わいがいつまでも余韻を残しています。
ポエム作家としての自らの経験と感性で、これほどまでに人間の内面を正直にとらえたシンガーソングライターは稀れあろうと思いました。
番組の終わりに、77歳となった小椋佳氏が自宅の屋上で家庭菜園を楽しむ姿がありました。土と戯れるのがなんとなく豊かな日課になろうとしているわが身に置き換え、嬉しくなりました。