岡本眞ブログ
2017.09.18
ふるさとでの同窓会
例年、この時期、台風が列島を襲います。この18号も多くの爪痕を残しようやく北の空へ去ってくれました。暴風雨の被害を受けられた九州や四国の被災地の方々には心からお見舞いを申し上げます。通常、台風一過は、秋雲のもと空も澄んでしのぎやすいんですが、空もあまりスカッとしてませんね。それでも彼岸花の茎ががむくむくと成長し、赤とんぼが気持ちよさそうに飛んでいます。
暑さ寒さも彼岸までといいますので、これからは本格的な秋の行楽日和になることをを祈ります。
さてこの3連休の初日は、遅がけの墓参も兼ねてふるさと母校の全学同窓会に出席しました。毎年、大阪からご祝儀で参加させていただいています。司会進行が輪番制になっていて、私より10年も若い後輩たちの活躍ぶりに大いにエキスをいただきこれからの励みと意欲にさせて戻ってきた次第です。
多くの先輩や後輩が国内外で活躍している姿を垣間見れる機会は学年を越えた同窓会組織がずっと存続してこそです。
時代世代の枠を超えた語らいのなかには人それぞれに受け取る感慨の違いはあります。
働き盛りの40代50代の方々は職場組織や経済の枠組みにしっかり組み込まれて、なかなか自分の自由な時間もとれないのではないかと思われます。同窓会の参加者も少ないのも頷かれます。
定年を迎えふるさとを離れ50年以上も経つにつれ昔の友達やふるさとの風情が懐かしく、気も向いてきます。
あの“椰子の実”という歌詞に
故郷(ふるさと)の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)
旧(もと)の木は 生(お)いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
とのくだりがあります。
そこまで大げさな感慨ではありませんが、ふるさとを思いやる気持ちは加齢とともにふつふつと湧いてくるものものですね。 これからの余生、いかに過ごすかなどと同期の友達なんかとよく話しをします。
しかし先日、亡くなった日野原ドクターの本を読んで、これからは”余生”なんて言葉は使わないと決めました。余生というのは人生の余りや付録ということで、先生は60歳代なんかはここからが新たな始まりなんだということを熱く述べておられます。
言われるとまったくそうですね。
90歳になられてミュージカルに挑戦されたり、98歳で俳句を始められた方です。
ユダヤ人哲学者、マルチン・ブーバーの言葉に『人は創めることを忘れない限り、いつまでも老いない』があるそうです。日野原drのモットーとその満ち満ちたエネルギーの有言実行ぶりには、周りにもビンビン感電してしまいそうです。
もはや人生100年時代に移ろうとしています。男性の平均寿命は81歳、女性は90歳近いです。この年齢はゼロ歳~亡くなる人の全平均ですので、今60歳の人はゆうに30年ぐらい生きられるということです。正に人生100年時代です。
「人生100年の計」が必要な時代です。
日野原ドクター曰く。60や70年は「人生100年のハーフタイムに過ぎません!」
「人生はアートです!」
「どう死ぬかを考えるのはどう生きるかを考えることです!」
なんとも勇気のわく言葉じゃあないですかあ~。
さあっ~、仕事や!
さあっ~、篠笛の稽古や!
さあっ~、デートや(笑)!
さあっ~、○○○○や!
さあて
皆さんの○○○○は??