岡本眞ブログ
2017.05.21
今一度、違いを認める
1月と先月のブログで「思い通りにいかないのが当たり前」とか「理解し得ないのが当たり前」とか、人間関係を左右するコミュニケーションの難しさに触れました。
民主主義の原則も、とことん話し合って情報を共有し、自分と異なる意見や気持ちを理解することで問題を解決していく仕組みの維持であるはずです。
ですが昨今の風潮は少し変だと思いません?
断定的ないい方が横行し自分の考えに近い情報ばかりに触れ、異なる意見には耳も貸さない。そういうコミュニケーションの分断が、家庭にも学校にも地域でも、果ては国に、世界に(とりわけ政治の世界に)と広がって、それがいろいろな格差や偏見を助長させているに思えてなりません。
そもそもコミュニケーションのねらいはなんでしょうか。
ずばり人を動かすことですね。
それには分かりやすく話し、人の話をよく聞く、聞き上手になることだと思うんですね。
コミュニケーションの研修で私は次のスライドをよく説明します。
自分がやってもらいたいと思うことを
やってもらいたいときに、
やってもらいたい方法で、
しかも本人がいやいやでなく、
喜んでやってもらう・・・・
とのフレーズです。
そしてその基本には傾聴と説得という2つの姿勢が必要であることを理解していただきます。
例えばアンダーラインの個所でいうなら
やってもらう内容ですね。少なくとも
① 目標の明示②いつまでに③どのようなところまで④誰の協力を得て
の説明がなされないといけないでしょう。
ときにというタイミングも大事です。
① 仕事の優先順位を考え②相手の受け入れ状況をみて③腹積もりを事前に言いながら
方法は
やってもらう内容の①知っている程度を確かめ②主なステップを1つずつ言って聞かせ、やって見せ、かいて見せ、やらせてみて③分かったとわかるまで確かめて
のポイントがあります。
喜んでやってもらうには
①なぜ頼むかわけを言って、その内容をやりたい気持ちにさせる②やってもらっていることに感謝、協力の手を差し延べ③やってもらって後に激励賛辞の意を伝えて⑤共に喜び、労苦に応える
ということになるでしょう。
皆さんは、いったいどの程度、これらを意識され話し合いに臨まれていますか。
大抵の人はそんなん言わずに知れたことやん、「以心伝心」ですわ、前にも言ったことやから、、、と安易に流していませんか。
私も全然、できていません。だからこそ
話し手の立場からは、他人と自分は「違うこと」を前提に
聞く立場からは「本当に自分は分かっているか」を考える習慣を
持たなければならないと思っています。
この姿勢は歳と共に強くしなければとも、、。