岡本眞ブログ
2017.04.19
理解し得ないのがあたり前
村上龍の小説に「ラブ&ポップ」というものがあるそうです。
そのくだりが朝日新聞の朝刊「折々のことば」に掲載されていました。
人間関係の難しさ、複雑さ。いや面白さ、楽しさ、驚き、悲哀、、、
なんかこんな言葉に象徴されてそうな気がして、書留めました。
理解し合えるはずだという前提に立つと、少しでも理解できないことがあった時に、事態はうまくいかなくなる。
対話は他人と同じ考え、同じ気持ちになるためになされる考えると、いずれかが理解を断念したとき、対話は閉じられる。
理解できなくなってあたり前、むしろ語りあえば語り合うほど相手と自分との違いがより微細に見えてくる、それを対話だと考えれば、理解しえずとも共にいられる場所は少し広がる、、、。
ほんと頷けますね。
あの人と分かりあっていたと思ってた自分があほやったわ~、もうこんりんざいあんな人とは会わないぞ!、、と心を閉ざしてしまう。
心を閉ざすまでなくても、きっちりと自分の中でお付き合いの断捨離をしてしまうことも多いですね。
多様な考え方やものの見方、感じ方は人それぞれ、それらを丸ごと分かったうえで自分の立居振舞いを生かすことって言うは易しです。こと間柄が近く親しくなるにつれ同調を求めたがり賛同を得たいものなんです。
居酒屋で上司の愚痴や会社の批判に華が咲くとき自分ひとり冷静に「そうおっしゃるけど、それちょっと違うんじゃないの?」なんて言うものならその場のシラケは尋常じゃあないですよね。
仕事柄、大見得をきってよく言うことがあります。
上司と部下との評価面談。
「初めから一致してなくてもいいんです!」
「何ができたと考えているのか、そうじゃないのか、それらを突き合わせお互いのズレや違う見
方を学ぶことなんです。」
「お互いがこれら持ち場持ち場の状況を知り合うことが大事なんです!」
「対話によって、考え方を膨らませ自身の業務レベルを向上させます」、、
なんてね。
わかっちゃいるけど、人を責めるのは止めれない。
話せばわかる。
分かるほどに優しくなれる。そいう好々爺の境地にはまだまだ遠いことを思い知らされます。