岡本眞ブログ
2017.03.26
会ってて、元気になれる人
年齢ととともに時間の経つのが早いことは承知してましたが、このところの目まぐるしさは自分でもあきれてしまいます。どおってこともしていないのですが暦の過ぎ去るスピードは尋常ではないのです。
とくに先々の予定を手帳に入れてしまうとそれが楽しみなことであれ億劫なことであれ、あっという間にその日に到達してしまうものです。
世の無常の風と命のはかなさを表した道元禅師の言葉につぎのようなものがあります。
「命は光陰に移されてしばらくも留め難し、紅顔いずこへか去りにし、尋ねんとするに跡方なし」
光陰の光は太陽の陽(日)、陰は月。月日の過ぎ去るのは光陰矢のごとしです。紅顔の美少年も今となっては跡かたもなく老いてしまうと。。
毎日、接している女房の顔も知らず知らずに骨皮すりえもんとなって若い頃のぴちぴちしたミニスカ女性の跡かたもない。
トホホのホでお互い翁と嫗(おうな)のような、形姿に変わりはてています。
最近、変なことをよく連想しています。人間、死ねば土にかえると言いますが、雨露しのげず道端で命を落とすとこれからの季節、1週間もすれば白骨化してしまうことを、、。
そんなかんな無情の嵐に苛まれているこの頃、人との付き合い方にも考えることが多いです。
それは会っていてつまらない人、疲れる人のなんと多いことか、ということです。人づきあいが苦手の方ではありませんが、10分も居合わせたらほんと、心身疲れるというか時間の虚しさに耐えきれないようなストレスを感じます。余裕がなくなっているんですね。
お互い無理しているんでしょうね。そのせいで自分の正直な気持ちや思いが出せない。相手との時間に意味が持てない、もったいない、犠牲にされた、、など極めてネガティブでマイナス思考になる、そしてこういう自分に嫌悪する、まさに悪循環です。でも考えたらみんな身から出たさびだと思いませんか。自分で何とでもできると。
ノ―と言える勇気とか、いい人になるのはやめなさいとか、嫌われるのがなぜ悪いとか、自分自身を見失わないためのいろいろな表現が大はやりなことも頷けます。
どこかで好感をもってもらいたい、いい人だと思われたいなどとついつい自分の等身大以上にいいかっこうしたい、と思ってしまうものなんですよ。
残る人生がさほど潤択にないことが分かる歳になってくると
やっぱり一緒にいて楽しい人、会ってて元気になれる人がいいいですね。
やりたいことは人それぞれでしょうが、僕にとっては、なにかにひたむきに努力している人にエネルギーの波長が合うというのか魅力を感じてしまうのです。趣味でも地域貢献でもスポーツでも。でも仕事以外にですよ。あまり仕事一辺倒人間は好みではありません。どこかに「当たり前のことやん」、といった自身の投影があるのでしょうね。
話題が豊富で、好奇心旺盛、フットワークが軽く歳を感じさせない、どこかに初々しさがあり、見た目、受ける印象はなるほど”生活使用感万歳”の超熟年であってもその御人、根本に人への思いやり、優しさ、誠実さが垣間見られる人との遭遇はとても楽しみなことです。そしてまた当方も無理のない等身大の自分流が貫ければいいなあ、と思っています。