岡本眞ブログ
2017.01.29
思うどおりにいかないことが当たり前
会社の社長や総務担当と話していて、「なんで社員が思うように働いてくれないんだろう!」
とぼやきに似た発言を聞くことがよくあります。
そんな声を聞くたびに、どっちに責任があるんだろうとつくづく考えてしまいます。経営者の方がほんとにやってほしいことをちゃんと言っているんだろうか。言ってても言葉だけ発して、社員の気持ちに伝わっていないのではないか。気持ちに訴えていてもそこには土台無理な溝があって虚しく響いているだけではないのでしょうか。
言っていることが理解も納得もされず難しいと思われてはいないだろうか。また経営者もそんな社員の態度を見て拒否反応を示された、と拙宅な感情にとらわれていないだろうか。
ここかようなコミュニケーションの行き違いは、なにも職場内のみの問題ではないですね。人間集まるあらゆる組織や仲間内にでも日常茶飯事な現象ですよね。
しかしこと会社や職場のなかではこんなお互いのズレは極力出ないようにすることに越したことはありません。
「分からなければ解かったと分かるまで確かめろ」とか「いっぺん言って分からなければ2度3度教えろ」とか言うに簡単です。が、さて社員や部下が本当にこちらの言うことが分かって、しかも進んで行ってくれるかといえば、これまた大変な努力が要ることです。
「勉強しろ!」「はい分かりました。」なんていう親子関係は返って珍しいです。
しからば何か人に頼んだり要望する側の心得ておかなければならないものって何なのでしょうね。今更ながら考え込んでしまう問題です。
1言うて10分かる相手や集団なら苦労しません。しかし現実は1言うても0.1かせいぜい0.5で半分も意を汲んでくれたら儲けものですよね。さらに喜んで実行してもくれる人って余ほど気心が知れ互いに尊重し合っていないことには難しいのではないでしょうかね。
一番大事なことは人間、そんなもんだ、という気づきだと思うんですよ。以前、あの佐藤愛子さんが「人間、御臨終を迎えるときその傍らで見届けてくれる親族でさえ単なる見物人に過ぎない」と言われています。また瀬戸内寂聴さんも「寂しさ、痛さ、苦しみなんて他人に分かるはずがない。年をとるに連れ孤独との付き合いが大きい。」と。
要は本当のところは他の人間には何にも分からないということだと思うんです。私なんか自分のこともさっぱり分からない人間です。
その冷厳な現実、そこからお願いする内容や表現を考え直していくことではないでしょうか。
当方の言い分がなぜ分かってもらえないのだろう、と思う前に社長自らの胸襟開いた思いや考えを洗いざらいにさらけ出し社員にその気にさせる雰囲気作りが重要でしょう。
制度つくって魂入れずの現象もよく見受けます。
忙しいのをいいことに誰かに設計させた組織の規範や制度をそのまま導入し、すぐに行き詰まって定着できない職場も珍しくありません。
何のための決まりごとなのか。その目的は何か。ねらいとするものが社員1人1人に理解され、「よっしゃあ、いっちょう協力したろか」とその気にさせるようなものになっていますか。「うまいこと言うて、どうせ私達をまるめこめようとかんがえているんじゃないのか。」などネガティブ・スタンスを示されるようなものならもう一度考え直した方がいいですよ。
厳しい現実、皆が夢踊り、幸せを直感できるものばかりではないことも確かです。ならばこそ、そういう窮状を懇切丁寧に説明し打開の糸口を考えてもらうということも大事なアプローチと思います。
“自分は1人、誰1人して同じ言葉、同じ考え、同じ感覚での理解はない。”
いま一度、立ち止まって考えてみる必要があるのではないでしょうか。