岡本眞ブログ
2017.01.15
年初めに思う
今朝の新聞に女優の黒木瞳さんが「どんな役を演じるにも、それは自分自身とは違う人物なのだ」と思い、役1人1人にどれだけ愛情を注ぎこみ、この人はどんな人物なのだろう、どんな体験をし、どんな話し方をし、どこらへんから声を出す人なんだろうと、とことん追求して演ずると言っています。スマップの歌ではないが、この世で誰一人として同じ人間はいないし、誰もが個性豊かで掛け替えのない素晴らしい人間だと綴る内容に共通しているように思います。ほんとそこまで誰もがお互いを尊重し、言っていることの意味とか心情を慈しみ愛おしむことができるんなら私も”世界人類みな幸せ”は実現すると思いますね。
しかしちょっと周りを見ると、自分こそが正しい。自分はまともだ、あなたは間違っている、と思っている人はわんさかいて、小さな諍から国家レベルの戦争まで絶え間なく起こっているのが現実でもあります。
釈迦がお生まれになったとき「天上天下唯我独尊」といわれたそうです。本来その意味は自分の値打ちは自分しかないので、その値打ちを尊重することがあらゆる関係の源であるとのことです。しかし我こそが一番、正しいと振る舞う輩が少なくないのには曲解もいいところでうんざり、甚だ迷惑な話ですね。
花田清輝の「楕円の思想」というものもあります。この社会いろいろな考え、思い、行動はそれぞれ。中心は複数の焦点を持っていて、その意味で絶対とか誰もがとか、みんなとかの表現は短絡的思慮のないことと思われるのです。
オバマ大統領の退任演説は、多くの人の共感と共鳴を受けました。私も食い入るようにテレビ放映を見ました。その高尚な理念と未来への希望は、私達に自信と励み、勇気を与えてくれました。
かつてイギリスの首相(アトリー)は民主主義の基礎には、「他の人が自分より賢いかも知れないと考える心の準備」を持ち合わせていなければならないと言っています。
大事なのは何であれ、間違っている、正しくない、と物事を決めつける前に、あるがままの事実を事実として受け入れる寛容さと謙虚さがなければならないと思います。寛容に時間がかかることは仕方ありません。理解しあうにはお互い向かい合う真摯な態度姿勢が要るからです。しかしその時を疎かにし自分の私利私欲を張れば一方は傷つき、その上に怨念も積もります。
今、世間の動きがにわかに怪しい雲行きになりつつあるように思わざるを得ません。不平不満をいたずらに煽り、その不満の発露を周囲に爆発させようとするとどんな現象が起こるのでしょうか。過去のいたましい歴史が証明してくれていますね。
歴史は繰り返すとも言いますが、食い止める勇気こそを尊びたい。そんな気持ちを強くする年初めです。