岡本眞ブログ

2013.04.09

3月30日 土曜の夜

NHKスぺシャル「魂の旋律〜音を失った作曲家〜 」をみて僕は、久しぶりに熱い涙を、誰はばかることなく頬に下たり落とし流し流し泣いた。3月30日、久しぶりに日中はよく晴れたその夜は、妻のいない愛犬2匹だけの土曜日の夜でした。
3月上旬 に予定された宮城での演奏会に向けた制作現場に密着。被災者との交流なども交え、”命を削り、 音を紡ぐ”作曲家・佐村河内守の実像に迫る番組でした。

現代のベートーベン”と呼ばれる日本人。佐村河内守(サムラゴウチ・マモル)、49歳。 14年前に病で両耳の聴力を失いながら、クラシックで最も困難とされる交響曲を書き上げた人です。 「交響曲第1番”HIROSHIMA”」。自身も被曝2世である佐村河内が原爆投下後の世界を描いた80分の大作です。そしてこの曲は東日本大震災の被災地で、”希望のシンフォニー”と呼ばれるようになったのです。佐村河内さんが聴力を完全に失ったのは14年前35歳の時といいます。
リビングは黒いカーテンがひかれ室内は暗い。明るい光を見ると耳鳴りが激しくなるため、常にサングラスをかけておられます。その佐村河内さんは今、東日本大震災の被災者への鎮魂曲「レクイエム」に取り組んでいます。

僕は、その番組の中で佐村河内さんの2人に対する人間に対する深い慈しみと優しさに感動し感涙に咽せびました。

1人は、右腕の肘から先がない学6年生の大久保未来さんとの交流。彼女はプロのバイオリニストを目指していたのですがその未来さんが佐村河内さんのために左手だけで4年がかりで折った千羽鶴をプレゼントしたのです。代わりに佐村河内が未来さんのために「ヴァイオリンのためのソナチネ」を作曲しました。

もう1人は、津波で母を亡くした石巻市の少女・梶原真奈美ちゃんとの交流です。真奈美ちゃんは大好きな母と1日何回もメールをしていました。真奈美ちゃんは震災から2年経つ今も腰紐でおばあちゃんと手と手を結ばないと寝れないといいます。
佐村河内さんは真奈美ちゃんの母親が亡くなった女川町の海に向かい、被災地の現状と当時の話を聞き作曲に励みました。しかし現地でのすさまじい荒廃と破滅的爪痕の中に立ちすくみ、曲作りはなかなか難航しました。震災で亡くなった人の名簿を指でなぞり痛みを感じ取ろうとしていましたが、佐村河内守さんは旋律を掴めず、深夜の公園でも苦悩していました。なんとか2日間全く寝ずに作曲し曲を完成させたのでした。
レクイエム披露の日。場所は梶原真奈美ちゃんが通っていた小学校の体育館でした。演奏が終わり、佐村河内さんは慰霊碑に向かい真奈美ちゃんの母親にも曲の完成を報告していました。

なんという人間愛。根源的な生きる意味、生きる理由って、一体何、なんでしょうか。

自らの障害、困難という闇に身を置きながら希望を持ち続ける人のために曲を作り続ける。そんな佐村河内さんの生きざまは、普段、何気なく過ごしている、いい歳をしたおっちゃん(わが身)にはあまりに強烈な衝撃でした。
なんとも言えない重い余韻を引きずって、涙で膨れた赤パンダ目頭を洗いに洗面所に走りるのがやっとでした。

折しも同じ日の朝刊にこんな記事場出ていました。
維新「改憲」意気込むとの題目です。石原慎太郎氏と橋本徹共同代表が憲法前文の「諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存の保持・・・」引用し「「諸国民の公正と信義に信頼するだけでは安全と生存を保持できるなんてあり得ない。ここが元凶だ」と改憲の必要性を訴えている記事です。そして党の基本政策に「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実な共同幻想を押しつけ元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」との日本維新の会の基本綱領です。

僕は、こんな威勢のいい改憲の響きよりも、あの番組で佐村河内さんの言葉「僕は悲しみに耐え、一生懸命に生きていく真奈美ちゃん1人を救いたい。真奈美ちゃんの強さを信頼する。」にメガトン級のインパクトを覚えます。

人の公正と信義を信頼して行動する、これには優しく・豊かな慈しみをもった強い信念が必要と思います。決して弱い、人に寄りかかった、甘ちゃんの発想ではないと思います。崇高な理想へ体を張った態度、そして強靭な人間愛、その魂に人は心動かされるものと信じています。
24年度終わりの3月30日、その夜、僕はこんな対極をひそかに思っていました。