岡本眞ブログ
2011.05.18
男が上手に年をとるために
この間から塩野七生氏の文庫にはまっています。彼女のことは何やら日本人でありながらローマやギリシャ、ルネッサンスの時代における強く逞しい男たちを題材に、僕たち極めて情緒的牧歌的でぼんやりした日本人男性にズバズバと毒気のある口調で切り込んでくる少々眉をしかめる作家のように思っていました。
読んでいて確かにその通りで、なんという自分勝手で断言的な言いぐさなんや、とうなずきはできない箇所が頻繁に出てきます。
反面、そう思う自分がどこか言いわけなような、開き直りのような、気がしてすっきりしない不思議な余韻が残ってしまいます。
一体、塩野氏の言うエリートってなんやねん!フツウの男ってなんや、上等な男って??粋な男って??
ええ加減にせい!そんなセンスの良い男なんて自分の回りにもおらんし、そんなん僕なんか最低の下等やんかあ~~
とも考えさせる不思議な語り、軽妙な仕掛けを文体とする作家のように思えてしかたがありません。
ところで彼女が、男たちに女の立場から私たち女にちゃんとした夢を与えてよ、弱い女たちを路頭に迷わせないでよ、と多少の甘えから叫んでいるのだとしたら心憎い演出だとも思います。でもね~、彼女のような個性的で歯に衣着せない論調の作家をそうやすやすと抱擁するだけの男なんぞ日本という島国には多くいないでしょう。
理性と感性が豊かで女性の心理を知った粋な男、そういう可能性をもった男が塩野氏の求める上等な品定めとすれば、女にもてたいという男の根源的本能を刺激する語り口調にもその10分の1ぐらいは応えるように努めたいとも思いますがね。
「男たちへ」という文庫でとくに印象が残っているのは、男が上手に年をとるために、という章の中です。
戦術10なるもののなかの一つ、優しくあることは歳をとらなければできないといっています。
優しくあれるようになるのは、人生に不可能なこともある、と分かった歳からである。自分でも他者でも限界があることを知り、それでもなお全力を尽くすのが人間とわかれば人は自然に優しくなる。
優しさは、哀しさでもあるのだ。これにいたったとき、人間は成熟したといえる。そして忍耐をもって、他者に対することができるようになる。・・・
僕はこのフレーズを読んだときなんか嬉しくなってしまいました。上手に年をとっていきたいものだと常に思うようにしています。
毎朝、毎夕鏡に自分の顔を映して、品を失うことなく自分なりの上等な表情に近づいていければいいなあ~と・・・。