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2022.07.03
この3年、暮らしの変化・職場の変化
このコロナ禍、ただただ何の楽しみなく、ボ~と毎日を過ごしても時間のムダ。なんか面白いことないかな。僕の周りにはテレワークが長引き、同僚や上司とのふれあいも希薄になっているので、放課後や休日は書道を始めたとか、ドール教室に行って自分だけの人形を作り始めたとか、美術展に出品する大型絵画に専念中とか、鉛筆画を再開して外国の日本展に出すとか余暇をアグレッシブに過ごしている方が少なからずいます。そういう生き方を見受けると刺激をもらえるし自分もうかうかしておれない気分になり、気持ちが動かされます。
周囲ではソーシャルスタンスという言葉から感染リスクを避けるため時差出勤をしたり在宅勤務でのオンライン会議がかなり普及し従来の職場コミュニケーションのあり方や働き方が大きく変わってきました。
同時に私達社労士も制度や就労環境の整備に伴うシステムの導入に向けた具体的なルールの策定に取り組む仕事が増えているのではないでしょうか。
- ①会社機密情報や個人情報の取り扱いや管理
- ②見えない場所の労働時間の把握の仕方、成果・業績の評価など取り扱い
- ③体調不良者に対する予見可能性・回避可能性という安全衛生に配慮した健康確保措置
- ④コロナ感染による休業と賃金、健康保険や助成金の扱い実務
- ⑤3蜜を避ける職場のレイアウトや人員配置、消毒や換気、医療品の購入準備など感染防止への基本的な対策
- ⑥テレワーク中の日常の業務相談や指導、ストレスチェックの実施
などずいぶんと多岐にわたる業務に直面しています。
世の中の移り変わりと共に私達社労士の役割は、従来の効率や生産性の向上一辺倒の労務管理から
従業員を尊重し大事する、
皆が楽しく豊かな職業生活が送れる、
ひとりひとりの個性と能力が生かせられる、
従業員満足度を高め組織企業文化を創造する、、
ことに関わっていくことがこれからますます高まっていくように思います。
2022.02.01
マスメディアの統計について
これからの時期、マスメディアが盛んに流す労働関係調査には仕事柄、私は常々、疑問を思っています。例えば春の賃上げ額(率)であったり夏・冬のボーナス額のニュースです。
全国紙一面に今年の冬の賞与は100万円、とか賃上げは1万円などの数字がアップします。この数字が嘘、出たら目とは言いません。しかしこの数字が躍る内容は主要大企業の平均であったり、官公労職員の平均である場合が多いのです。
私たちが常に関与する企業は、地域に密着しそこで地道に事業を行い、根付いた中小企業がほとんどです。
これら事業主の目から見れば、世間の実情からはかなり開きがあり、受け取る感覚にも大きな温度差があるように思えてなりません。
例えば賃上げの統計なんかを見ても実際は集計会社のうち賃金を改定した会社、したくてもできなかった会社もあるはずです。
本来ならそのどちらも集計の母数に入れて平均〇〇〇〇円と出すべきではないか、と思います。しかし多くの統計は、賃上げ実施会社の平均です。しかも企業内に労働組合もある恵まれた会社です。
A会社は5000円、B会社は0円ならば平均で2500円であるはずですね。この辺の統計の綾が、分析には大事だと思うのです。
その意味で私は地域の会社の実情に詳しく、また統計に工夫をしている信用金庫のレポートを重宝しています。
その1つが大阪シティ信用金庫(同総合研究所)の調査で、専属スタッフが中小企業経営のさまざまな課題等を調査し、分析結果を調査レポートで提供しています。
支給・無支給の割合が大事
昨年末の冬のボーナスの統計を紹介してみましょう。
支給企業は2年ぶりに増加というキャッチフレーズの記事ですが、第1表で今回、支給する企業は58%で4.6ポイント増加した一方、支給しない企業(少額手当含む)は41.4%で同4.6ポイント減
少したとしています。
支給した企業(624社58%.6%)の1人当たり平均支給額287,945円であるが、図に見る支給しない41.4%の企業を含めると母数単純平均で203,500円となり、大阪シティ信金の調査の実情は後者の額がより近いものと考えれます。このように一見、大きくはやされる数字だけをとらえてあたかもそれが真実のごとく判断するのは早計のように考えます。統計の背後にある現状を冷静にとらえる必要がありますね。
2021.11.29
新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがきかない中で明けた今年もあと1か月、
師走の時期となりました。このところ日本での感染者は激減していますが、ヨーロッパやお隣の韓国では感染規制を緩めた途端に感染者が急増しています。またここにきて南アフリカで新変異株が見つかり、各国は水際対策を強化しています。一体、いつになったらこの見えざる敵に怯えずに暮らす日がくるのでしょうか。経済の維持と生活への不安は増すばかりです。
企業は製造業に回復が見られるものの飲食・観光などに低迷が続いています。「成長と分配の好循環」を謳って政府は3%を超える賃上げを期待しています。しかし企業の中には一律の賃上げ要請には難色を示し従来の賃金体系を前提にした賃上げに応じる気配はありません。昨今の企業経営の厳しさを痛感せざるを得ません。
この数年、IT技術の革新、サービス網体制、エネルギ-革命、地球環境問題など経営環境をめぐる世界情勢は予想をはるかに超え、これに伴う仕事の有り様も周囲の暮らしぶりは様変わりしています。私たち労務管理を業として仕事をする者にとっては日進月歩に代わる働き方に関わる労務法制や組織運営上のルールは不可欠で見逃せない習得事項ですね。
新しいことに挑戦する、若い者と良くしゃべる、好奇心を持つ、多様な情報を取り入れる、物事を決めつけない。年末を控えるこの頃、気を付けたいものだとこの老生は改めて思いました。
映像後記 ◆木々の枝に白し 朝の霜 鳥は啼きて木に高く 人は畑に 麦を踏む♪♪
♪♪ https://youtu.be/rWLzGGRdVBE ♪
特定社会保険労務士 岡本眞
2021.11.19
先の選挙期間中、岸田首相が1冊のノートを振りかざし「私は聞く力を特技として、その声をこのノートに書き入れている」と声高らかに演説している姿が頭にこびりついています。
聞く力を持つこと、そしてその発言の真意を考え、相手に応える。応えられないときは、その理由を言って正直に自分の立場を説明する。社会の人と人との営みの基本に、このアクティブ・リスニングの行いが望まれます。
しかしことはそんな簡単ではありません。
世の中は矛盾や不条理なことがあまりに多いものです。だからこそ、聞くだけでは一方通行、「聴く・観る・触れる・尋ねる・伝える」という5感を重んじた誠実な対応があらゆる関わり合いに不可欠なものになります。
為政者という者、間違っても、嘘を言ったり、強要したり、改ざんしたり、わが身の保身の取引の手段にしてもらっては困りますね。
これを機に少なくとも投票した議員の行動について、これまで以上に注意深くチェックさせてもらうことにします。
♪♪ 霜月 落ち葉 踏み踏み ゆく秋深し 木枯らし前の山里の裾模様ですね。
2021.09.08
このコロナ禍、ただただ何の楽しみなく、ボ~と毎日を過ごしても時間のムダ。なんか面白いことないかな。
もちろん、仕事の他にですよ。
僕の周りにはにテレワークが長引き、同僚や上司とのふれあいも希薄になっているので、時間外や休日は書道を始めたとか、ドール教室に行って自分だけの人形を作り始めたとか、美術展に出品する大型絵画に専念中とか、アグレッシブな余暇を過ごしている方が少なからずいます。
そういう生き方を見受けると刺激をもらえるし自分もうかうかしておれない気分になり、気持ちが動かされます。
この閉塞した重く暗いウイルス感染の霧。これを晴らすにふさわしい楽しく熱中できることをと、ここんところ趣味にしていた篠笛の演奏を、ちょっとした小細工を使って編集することにしています。
それはスマホとPCを使って自前の映像を作ることです。
便利なもので、演奏に動画やテロップ、それに他の楽器との合奏を取り入れて、一つの作品を演出するのです。そして限定した範囲でyoutubu をアップして、反応を興味津々、伺うのです。
趣味のレベル向上と作品形成の技術をつけるのに一石二鳥の効果があります。
その初期作品(大げさやな)を厚顔無恥さを発揮して紹介させてもらいます。
2021.06.02
先日、NHKBSで今年で歌手生活から引退する小椋佳のレコーディングを密着し、創作の苦悩に迫る本人のドキュメンタリー番組を見ました。
僕の兄と同世代の小椋佳、銀行員と兼業でシンガーソングライターとして華々しくデビューしたのが50年前というから月日の移り変わりはまことに早いものです。
高校時代には「人生は何をするためにある?」と真剣に考え、悩み抜いたという。一時はそお答えが見つからず自殺も考えたとのこと。
そういう若者が簡単に東大を受かってしまうのだからただ者でない。
両親は琵琶奏者で義太夫を語り、演じていたとか。やはり血は争えないものです。生まれつきのDNAですね。
確かに小椋佳の歌詞には通常の歌謡曲によくある好いた別れたの、の言葉とは違う、深く難しいことばが歌詞に並んでいます。
彼は自ら「詩人」と言い、詩は言葉が言葉を生む縁語で成り立つと言う。
海と言えば小舟・小島・潮騒・カモメ・汽笛・白いシャツ・サンダル・小麦色の肌、、、、という具合にどんどん連なるそうだ。
特筆すべきは、「愛 燦燦」の歌詞です。
雨 潸々(さんさん)と この身に落ちて、、、
、、人は哀しい 哀しいものですね。
風 散々(さんさん)と この身に荒れて、、、
、、、人はかよわい かよわいものですね。
愛燦燦(さんさん)と この身に降って、、、
、、、人はかわいい かわいいものですね。
ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う
人生って 不思議なものですね。
ああ 未来達は 人待ち顔して微笑む
人生って うれしいものですね。
どうですか。この言葉の響きは、何とも不思議なくだりとメロディですね。
言葉、一つ一つに気負いがなく、共感できます。
単語自体はとても難しいが、縁語が連なるととてもイメージしやすい、しかも「そうそう、わかるわ~」と引き込まれてしまう。
小椋佳のあのどちらかというと抑揚のない、ほんわか~とした歌い方にはまってしまう。一方で言葉のじわ~とした味わいがいつまでも余韻を残しています。
ポエム作家としての自らの経験と感性で、これほどまでに人間の内面を正直にとらえたシンガーソングライターは稀れあろうと思いました。
番組の終わりに、77歳となった小椋佳氏が自宅の屋上で家庭菜園を楽しむ姿がありました。土と戯れるのがなんとなく豊かな日課になろうとしているわが身に置き換え、嬉しくなりました。
2021.05.31
新型コロナ対応の緊急事態がさらにさらに延び、自粛生活が強いられそうです。
また私達にもコロナ”禍”という言葉を聞かない日がないぐらい、慣れっこになっています。
この禍という言葉には「災い転じて福となす」というポジティブな意味があるとのです。
メンタルヘルスの分野ではよく似た言葉に「レジリエンス」がありますね。
危機を経てもなおしなやかに立ち直るという意味です。
ほんとうに、このように “新型コロナによる経験も
きっと将来に役に立つ”、と言い聞かせてこれから
の諸事に臨みたいものですね。
2021.05.26
ステイホーム中の週末、スマホのメモ欄をぼ~と眺めているといつぞやの新聞コラムに寄稿された心療内科の医大特認教授の記事を見つけました。
このコロナ禍、成人式ができなかった若者が不公平感を抱き、50代の男性に「昔の人は何でもできて良かったですね」と言う。
すると「昔は昔でどれだけ大変な時代だったか知ってる?」と即座に返してしまう。
そこに「ああ、そうだよね」という言葉を挟む余裕がない。
共感まで行かずとも一度、相手の言葉を引き取ってみることができず、すぐ自分の意見や信念を言いたくなってしまう。
「今の仕事がつらい」と相談しても
「でもあなたが選んだ仕事なんだから」と返されてしまう。
話が次に行かず本人には困惑しかありません、と。
スマホ画面のあっ「いいね」ってあるじゃないですか。
あのポチぐらいの感覚、「そう、わかるわ」「ええやん!ええやん!」
そういう受け止めって、やっぱり必要ではないでしょうか。
「そうなん、そうそう!! ほんまにね。」
寄り添う気持ちの ポチっですね。
人は自分をけなされたり軽く扱われると気分を害すものです。
うぬぼれたり、一方、落ち込みもします。ほんと情緒不安定な生き物です。
新型コロナウイルスが猛威を振るっています。何か息苦しいですね。
2021.04.19
春のやよいの あけぼのに
四方(よも)の山べを 見わたせば
花盛りかも しら雲の
かからぬ峰こそ なかりけれ
有名な雅楽「越天楽」の麗しい調べの歌詞ですね。
桜も終わり、山の木々は萌木色に染まっています。やがて新緑のまぶしい皐月晴れの季節です。ウキウキワクワク、生命の踊る輝きの季節。
しかし巷の世相、従来株をすっかり凌駕した変異ウイルスの猛威。どう「なってしまったのでしょう。
この地球上で、これまで人類が犯してきた横暴を神様がウイルスという使者に懲らしめ戒めさせているかのように思えてしまいます。いやきっとそうかもしれませんね。
まっ、こんな時期こそ「喧騒の街並みを逃れ、緑の風をきって走破し山紫水明の秘境を辿る」。そんな単独行へ思いが強まる季節です。
皆さんも“マイナスイオン”を胸いっぱい吸収して、コロナを吹っ飛ばそう!
2018.08.19
平成最後の後半年度に思うこと
お盆も過ぎいよいよ平成年度最後の後半を迎えようとしています。6月には大阪北部地方を地震が襲い、時をおかずに西日本を中心に豪雨が続き各地に大きな災害をもたらしました。そしてここ連日、命に危険を感じる酷暑が続きました。
この異常とも思われる気象状況のなか、皆様方におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。改めて日頃から心身の健康状態に留意しつつ毎日を平穏で感謝の気持ちをもって元気で暮らしてゆきたいと思っています。
さて平成の時代も今年度限りとなりますね。来年5月には新たな元号と共に30年余の平成は終わりを告げます。
皆様にとって平成とはどのような時代でありましたか。
明治・大正・昭和と戦争と激動の時代を経て迎えた平成でありましたが、文字通り「地平かにして天成る」という穏やかで静かな安定した暮らしができましたでしょうか。人は生きるために共存共生が必要で社会も相互扶助の支えを基にしています。一方、生きんがための競争も不可避なものとして現存しています。
平成の時代は後者、むしろ競争の側面では国際的な枠組みでもって質を変えながら大きくこれまで以上に拡大し新たな格差や貧困も増大しているのではないでしょうか。
また私がその多くを過ごした昭和の経済高度成長期の活気が嘘のように今や全国、津々浦々に過疎化、高齢化が進んでいてどこも閑散とし山は荒れ放題、道路は凸凹、公園など空き地の草は伸び放題、学校や公共施設は老朽化している状態が目立っています。
仕事がら各地に出向くときいつも目に着くのはアーケード街に人通りなくシャッターが1日中閉まり、お店の看板は薄はげ、ペンキもはがれ錆に覆われている現象です。
市町村の活性化や興隆はもはや至難のわざになっていると言わざるを得ません。人々の豊かさの意識もGDPでは語れぬ限界に至っているのではないか、とも思ってしまいます。
最近、若い人たちをはじめストックする意識からモノを共有するシェアリングエコノミーへの生活は確実に進んでいますね。
つまり消費もモノからコトへと人それぞれの心の豊かさを充実させる方向へと移っております。モノを持つことが必ずしも生活に豊かさを恵むことにならないしむしろ邪魔なことぐらいに考えるこのような価値観の変化はこれからの消費構造に大きなインパクトをもたらすものと思われます。
実際に私達仕事の場面ではどうなるのでしょうか。今、働き方改革のもといろいろな法律規制が導入されようとしていますが、ほんとうに自分がやりたいことをやりたい時間にやりたい方法でコトを進めることができるような企業社会が生まれるかもしれませんよ。
AIに職が奪われる時代が来るともいわれています。
私達の生活の先行きは次の元号の時代では全く予測が不可能です。
しかしいつの時代になっても人の感動やら共感できる場所で同じ思いを持つ仲間達と一緒に事(コト)に触れそこで流す涙や汗がお互いの営みをなす原動力になることに変わりはないと思います。
ただはっきり言えることは既に経済一辺倒な社会から低成長容認社会へと変化の兆しは見えてきています。次の時代では低成長の中にも豊かさが実感できる成熟社会へ、その創世が問われるように思えます。