小松雅子ブログ

2013.03.28

大川沿いの桜も、少しずつ咲いてきました。
5、6分咲き、といったところでしょうか。
事務所のご近所、北大江公園の桜はほぼ7,8分咲き。
これからが楽しみです。

春に限らず、季節を感じるっていいなぁと思います。
あぁこの桜の色がキレイだなぁ、とか、芳しい花の香りに
優雅な気持ちにひたるとか。
考え過ぎて逡巡したり、堂々巡りになりがちな日々に、
一区切りつけてくれるような気がします。

で。
私が出会った春を少し。

少し前になりますが、雛祭り前後に頂いたお食事でこんなステキな器
が使われていて、春の訪れを感じました。

お次は雪柳。
真っ白で小さな小さなお花が幾筋も連なり、圧巻です。
母の田舎では「コゴメザクラ」と呼んでいたそうです。
「小米桜」・・・確かに、そんな感じ。春の日差しに白い花が
華やかです。

そして、日本の春の代名詞と言わんばかりの桜。
薄いピンクの花弁が、寒さで固くなった心と身体をほどいてくれるようです。

最後に。
これも私の春。。

はい。花粉症対策用メガネです。
全然似合っていませんが、これを掛けてから、随分目のかゆみが
治まりました。

というわけで、写真をアップできるようになったので、嬉しがって
春のあれこれを紹介してみました。

2013.03.15

桜が咲き始めました。
変わらないものは何もない~。
桜も人も山もネコも本も砂も性格も細胞も・・・。

さてさて、私は数ヶ月前から歯医者さんに通っています。
虫歯ではなくて、予防の方で。
私は子供の頃から歯列が悪く、小さい頃から歯医者さんのお世話になっていたのですが、
ご多分に漏れずあの「キーン」という音が怖くて怖くて大嫌いでした。(歯医者さん、ごめんなさい)

大人になっても歯列が変わるわけもなく、どの歯医者さんに行っても、「かなり歯列が悪いので・・・」「ガタガタだから磨きにくいでしょう」などと言われ、母の友人の歯科衛生士さんからは悪い歯のモデルにならないかとスカウト?される始末。。
そして実際、年に一回ぐらいは歯茎が炎症を起こして痛い目に合ったりしていました。
歯列矯正を考えたこともありますが、相当お金がかかりそうなことを言われてブルーになり、なかったことに。(なってないけど)

そんな歯にちょっとしたトラウマのような感情を抱く私ですが、半年ほど前に歯磨き指導をしてくれた歯科衛生士さんの一言が私に希望を与えてくれました。

「歯が重なっているので磨きにくいですよね。歯茎も腫れている部分があります。でも、しっかり丁寧に磨いて言ったら必ず良くなりますよ。」

私はこの「必ず」に衝撃を受けたのです。
もう私の歯は悪くなる一方なんじゃないの?本当に良くなるの?
今までもブラッシング指導は受けていましたが、「磨きにくいと思いますけど、頑張って磨いて下さいね~。」ぐらいにしか言われたことがなかったのです。

私は素直に信じました。その日から歯間ブラシと歯ブラシ2種類を使い分け、一本ずつしっかり時間をかけて磨いていくようにしたのです。

その後、毎月歯石取りに行き、3ヶ月目には「もう毎月来なくてもいいですよ」と言われ、
そして更に3ヶ月空けて検診に行ったところ「良く磨けていますね。歯石もほとんどありませんよ」と言われるまでになったのです!これは私にとってはすごく嬉しいことでした。

今までは「どうせ私の歯なんて・・・」とスネて歯磨きの手を抜いていたんですよね。(反省)ちゃんとやればきっと良くなる、とわかっていたのに。そう、例え超ガタガタ歯の私でも。

小さい頃、よく母に「素直じゃないね!」と怒られていて、どうしたら素直な性格になれるんだろう、って思っていた。そうなれなくて悲しかった。
でも、素直な性格にならなくても良かったんだ。素直に「なる」だけで。そしてそれは選べるんだ。

ずっと変わらないと思っていたことに、今までとは違う未来がある。やっぱり素直に「なる」って大事。

2013.03.07

えっと、これは私が以前つきあっていたカレの名前です。
・・・・

と、そんな訳はなく、私の中にいたSP(サブ・パーソナリティ)の一つです。
最近、ふと思い出すことがありまして。。

サブ・パーソナリティというのは、人格を構成する様々な部分や面のことを言い、人はその心のうちにたくさんのサブ・パーソナリティを有していると言われています。

「きまじめさん」「めんどくさがり屋さん」「社交家さん」「切れ屋さん」「思いやりさん」「情熱家さん」「さみしがりやさん」・・・・。

一人の人間の中にはいろんな人格があり、それは時や場所(場面)、相手によっても変化します。
例えば、会社では明るく社交家だけれども家では無口だったり、あることはとても緻密で完璧主義だけれど、あるときはとてもルーズだったり。

このSPたち。それぞれが「私」であって「私でない」。
私の一部、とか、私はこのSPを持っている、と言った方がいいのかな。
「私はきまじめです」というより「私はきまじめなところがあります」といった感じ。

そんなSPの中で、私の中に「逃げ足くん」というのが随分以前からいたことを思い出したのです。

思い返せばウン十年前、小学生だった私はとても消極的でどんくさくて(SP的に言うと、消極的なところがあり、どんくさい面もあった、ということですね。。)、当時流行っていた?ドッチボールが苦痛でたまらなかったのです。
ご存知のとおり、ドッチボールは相手チームからボールを当てられたら外に出なければなりません。
私は狙って強く投げられたボールがとても怖く、受け止めることが出来なかったため、とにかく逃げるしかなかったのです。そしてあることに気づいたのです。目立つと当てられやすいということを。
そこでこの逃げ足くん、気配を消して当てられないように上手に逃げることをやってのけてくれたんですね。
効果てきめん?!とうとう最後の二人ぐらいになるまで逃げ切ることができ、そこで時間切れになったり、最後はゆる~く当ててもらって外に出ることが出来たのでした。

さて、この逃げ足くん。この時は大変な活躍をしてくれたのですが、その後もちょいちょい活躍してくれるようになります。但し、逃げていてはいけない場面でも。。。

しかし、彼はちっとも悪くなくて、私はその時大変助けてもらったわけです。
だから、「あぁ、苦手だな。怖いな。」と私が思うと、「よしきた、俺に任せとけ」ってなもんです。なんと頼りがいのある・・・。

逃げることを覚えた私(と逃げ足くん)は、それ以来絶妙なパートナーとなり、いちいち「助けてよ」って言わなくても、自動的に逃げてくれるようになったから、困ったものです。

こういうのってパターンになってしまうのですね。そして同じことが繰り返される。気が付けば「あれれ?」って感じです。

そろそろ私は逃げ足くんとは個別契約をするときが来たようです。
「今まで助けてくれて、ありがとう。必要なときになったら呼ぶから、そのときは助けてね~。」

2013.03.05

大変、大変ご無沙汰しております。
約2年、サボっていたブログを再開したいと思います。
一説では、私はもうこの会社にいないと思われていたとか・・・。
いえいえ、元気に働いておりますので、どうかご安心を。

さて、ふと気付けば、「あれ?これってこの前もどこかで見たような(聞いたような)…」ということはありませんか?
これを単なる偶然ととるも良し、何かのメッセージととるも良し。

先週はそんな「メッセージ」が私に届きました。
月曜日、椅子に座って行う「いす座禅」というものを体験してきました。禅宗による座禅自体は初めてでしたが、ヨガで瞑想をやったことがあるので、カタチはすぐに入ることができました。ただ、警策と言われる棒みたいなもので肩を打たれるのが怖くて緊張し、あまり集中出来ませんでしたが。。
その時、調身(姿勢を調える)、調息(呼吸を調える)、調心(心を調える)という言葉を教えて頂き、ヨガでいう体位法(アーサナ)、呼吸法(プラナヤマ)、瞑想(ディヤーナ)を改めて意識することが出来た貴重な時間でした。

そして土曜日。以前から申し込んでいた禅呼吸法のセミナーに参加。当然ながら禅をベースにした呼吸法なので、またまた調身、調息、調心の説明が出てきて、あぁこれは偶然ではないな、と思ったのです。

思えば心と身体の相関については以前から十分承知していたつもりですが、改めてそれをより深く理解し、意識して活かすときが来たんだなぁという気がします。大切なことは既に持っている、知っているのですね。

毎朝、10分間の呼吸法を行う時間をとるのは簡単なことではないけれど、今の私に必要なメッセージを素直に受け取ることに決めました。
さて、このメッセージがどんな意味を持つのか、これからが楽しみです。

2011.05.25

少しずつ暖かくなってきましたね。
明るい日差しと暖かい空気は、心まで温かくしてくれますね。

さて、タイトルの「本能」について、少し感じることがあったので
文章にしてみました。

人間(動物)には全て本能というものが備わっています。
それは生きていくために必要な能力。
しかし、動物の中でも人間は「意識」があるために本来備わった能力が
使えていないと感じることがあります。

例えば、本能が働くと昼間疲労した方を上にして寝ることにより、異常
な部分を休める姿勢になります。
下側の体温は高くなるので、異常があるときは冷えるように上にする
からです。

動物の場合、自然とこういう体勢になるのでしょうが、人間はもう少し
複雑で意識の力が働くため、こうはいかない場合があります。

横を向いて寝ると寝癖がついてしまう、こっちに見たいテレビがある
から・・・などなど。

すると自然治癒力が落ちるため、なかなか異常が治らない、なんてこと
にもなります。

先日、面白いことを聞きました。
知人の飼っているネコちゃんは21歳!という猫にしては超長寿らしい
のですが、このネコちゃん、たびたび断食するらしいのです。

ある時から餌を食べなくなり、ほとんど水だけで寝て過ごす毎日。
飼い主さんも、「とうとうか・・・」と覚悟していたようです。
それが2週間ほど経ったある日、突然餌をガツガツ食べ始め、みるみる
間に毛艶も良くなって元気になってきたそうです。

こういうことが度々あり、断食で身体に必要なことを調整しているんだ
なぁと思われたそうです。

わたしたちも確かに必要な量の食べ物を摂取しているかと言われると
食べすぎていることが多いですよね。
しかも食べたいから食べるというより、お付き合いだから、優雅な
雰囲気を楽しみたいから・・・などと理由づけて食べることもしばしば。
これは本能というより意識の力で食べているんですよね。

もともと私たちに備わっている本能。これは私たちを守ってくれるもの
なので、本能の声を聞いて従っていれば病気になりにくいのかもしれません。

そのためには、断る勇気、捨てる勇気も必要。
今流行りの「断・捨・離」なんかも、こういう現代だからこそヒット
しているのかも!?

本能に従うこと≒自分を信じること なのかな?
「感じる力」を大切にしていきたいですね。

2011.05.25

まだまだ残暑キビシイですが、いろんなところで夏の終わりの
お祭りがあり、秋が近づいていることを感じられますね。

今年は浴衣の着付けレッスンを受けたのですが、着る機会が
なくてザンネンでした。
来年は浴衣を着て髪をアップにし、うちわを優雅にあおぎながら
お祭りのウキウキする雰囲気を楽しみたいところです。

さてさて、本日のタイトルは「失敗から学ぶ」です。
世間でよく言われていることで、当たり前のことではある
のですが、実際に失敗してみると、本当に深く学びますね。

日々生活していると、うまくいくこと、いかないことは多々
ありますが、その中でも特に期待していることがうまく
いかないと、ぐーんと落ち込んでしまいます。。

でも、その失敗をモーレツに反省し、なんとかかんとか
取り返そうと努力したり、もがいたりする中で、たくさんの
学びがあり、結果として「この失敗って必要なものだったのかも」
と思うこともあります。
ま、そう思えるようになるには時間はかかりますけどね。。

実は最近、「失敗した」と思ったことがありました。
もう、それはそれは落ち込んだのですけれど、それがあった
おかげで、周りの人の優しさと素晴らしさを知ったり、素直
じゃなかった自分を解放できたりと、すごい学びがありました。

その時はとても辛かったけど、学んだおかげで自分を取り戻せ
ました。

ヘコんでいるときは支離滅裂な言動をしていたけれど、次は
前よりもっと良くなる気がしています。

また、私が以前学んだNLP(神経言語プログラミング)では
「失敗はない。フィードバックがあるだけ。(すべての結果は
なんらかの達成である。ただ、与えられた課題や内容について
望んでいたものであるか、そうでないかが違うだけ)」
という基本前提がありました。

これはどういうことかと言うと、例えば、不眠症の人は寝ることに
失敗しているのではなく、寝ないことに成功している、ということ
らしいのです。

単に言葉の裏返しなんじゃないの?って思われるかもしれませんが、
結局、物事は強く思う通りになるってことなんじゃないかなぁ、と
思うのです。

なので、失敗(と思っていること)を強く思うとそのとおりになる
から、逆にこうなりたいという良いイメージを抱くと、そのような
フィードバックが得られるということなのでしょう。

出来事を短いスパンで考えると、失敗だ、成功だって忙しいけれど、
ながーいスパンで考えると、全て成功なのかもしれませんね。

短気でおっちょこちょいな私は、これを肝に銘じておかねば
ならないようです。
(反省ブログでした。。)

2011.05.25

はじめまして。

このたび、ブログを始めることになりました。
とっても役に立つとか、すごく面白い文章が書けるわけではありませんが、
日々感じたことの中で、伝えたいこと、忘れないでいたいことなどを
マイペースで書いていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。

さて、このブログのタイトル「一歩、前へ。」は、ある人から聞いて
すごく響いた言葉だったので使わせていただくことにしました。

正確には「恋はクロネコヤマト。一歩前へ。」とおっしゃったのです
けれど・・・。(クロネコヤマトのキャッチフレーズに「一歩前へ」
というのがありますよね。アレです)

いいなぁと思った人がいたら、ためらわずに一声だけでも掛けた方が
いいよ、ということがおっしゃりたかったようです。

確かに、恋に限らず、ほんの少しの勇気を出して小さな一歩を踏み出せば
そこから新しい何かが始まるかもしれないし、世界が広がって選択肢が
広がるかもしれない!!

私はどちらかと言えば「石橋を渡らない」方なのですが(いやいや、
橋だと気付かずに渡ってるよ、という声も聞こえてきそうですが・・)
この「一歩」の積み重ねは大事だなぁと思うし、それが大きな一歩で
なくても進んだか進まないかぐらいの小さな一歩でもいいと思うのです。

なので、自分にも言い聞かせるつもりでこのブログタイトルといたしました。
少しでも共感してくださる人がいらっしゃれば幸いです。

というわけで、今後ともどうぞよろしくお願いします。