オフィス人事教育のふれあいブログ

2010.02.07

わぁ~い もうすぐ春です でも何か波高しです。。 

列島、立春の大雪、日本海側の積雪は26年ぶりといいますね。
 昨日の土曜日は本当にブルブルでした。何か、ざわざわと落ち着かない気分でしたから、北風なか年に数回、お参りする近くの静寂と清浄の浄瑠璃寺に行ってきました。阿弥陀9体仏が優しく迎えてくれました。
わが家の庭にも朽ちかけた紅梅の幹からひこばえが出て、その枝に小さな蕾が一杯ついています。寒椿も今やわが世の謳歌とばかり咲き誇っています。
夜には床の間に、赤富士飛来鶴という正月用の軸から梅鶯に変え、少し早いですがお雛様飾りも用意しました。
 少し前までは誕生月3月が1年で一番好きな季節でした。今はやはり2月ですね。凛とした寒気の中で近づく春の訪れを楽しむには、ゆっくりした準備ができ、余裕のある今の時期が嬉しいです。

瞬間瞬間にパラパラと目の前の風景や出来事が移ろい過ぎ去ってしまうことが余りに多いように思います。そんなとき非日常性を求めて日頃のバランスを微妙にコントロールし英気を養います。ドライブに行って普段、見たり感じれなかった自然に触れ山野草や小鳥の生命力に驚きます。コンサートやライブにスターの感動をもらったりステージの興奮を受けます。読書のなかで人の考えや異文化の醍醐味を知ります。音楽を聴いてホッとするって、という具合ですね。

 悩み、苦しみ、悲しみというネガティブな要素を、少しでも和らげて楽しみ、喜びのポジィティブ要素に置き換え、発散する気分転換は大事なことです。ネガティブに支配されそうなときは、自分なりの切り替えを見つけていくことなんでしょうね。所詮、人に求めることではないでしょうし。。

つい先日、この切り替えができなく、気まずい経験をしてしまいました。まっ いいか。と引き下がられないことがあったのです。とくに信頼していた人から常識論一般論を言われて「それって、ちょっと違うんじゃあないか」と反発してしまったのです。相手が自分のことをよく理解してくれているものとの思い入れ、うぬぼれ、甘えの上での反目です。でもこれがとんでもない自分都合であったことに気づきました。こちらにとって面白くないことでも相手にとっては何もこちらの価値尺度だけで物事、判断してくれているわけではありません。それぞれ事情もあり、こちら立てればあちら立たずのなかでその都度判断しているとのことでした。まっそれ以上の期待は、僕の強要になるかも知れない、っていうことでなんとか鉾を収めました。
コミュニケーションを業務に取り入れている僕としてはこれは大いに反省しなければ、と思った次第です。

人の取り様はさまざまです。そのときのちょっとした感情や欲求で変わります。そんなつもりで言ったのでない。今までの言動を見てて分からんか、と言ったところで既に後の祭りです。
軋轢が生じれば、相手に対するそれ以上の弁解は、もはや語るに落ちます。言葉には意志伝達と感情の交換の2要素があります。で残念なことに両方とも相手の受け取り方次第なんです。
しかしここで思案。。だからと言って「ここは何にも言わず、分別ぶって黙っておこう!」って、まっ、いいかスタイルを続けるとやはりこっちも無理がたたり、良好な関係は持てないと思うのです。それからというものずっと相手への不信感が募ったり変わった奴やなあ、との思いが累積されて抜き足ならぬ嫌な雰囲気にもなりかねません。難しいところです。

そこで自然で、後腐れがなく、悪意の発想がなければ、俺はこんなんで腹が立っている! 君はどう思うか! なんでや? 僕が間違っているか? たぐいの言い合いぐらいは遠慮なく言わせてもらわないとこれまた体内の”汚染マグマ”が高揚し、自浄コントロール装置が機能せず、ストレス弾が炸裂しそうな雲行きになりかねません。
怪我は早いうちに治せ、雨降って地固まる、つていう効用もあるのですから何も遠慮する必要はない。側近と思えば腹も立ち傷もつく、他人と思えば唇寒いが合点もゆく。。その距離感を保つことは難しいものです。頼りも期待もしない、ライトにスマートに・・。窮屈さの微塵も感じさせず。。。

でもそんな間柄ってあるかい!

 第一おもろも何にもないわ。しんどいわ。

せめて自分なりの”これでいいのだ、”とのバカボン風に誘われてみたいものですよ。ほんと