オフィス人事教育のふれあいブログ

2009.09.08

ものの整理

5S活動のパターンセッターは、皆さんご承知の”整理”ですよね。頭の中では整理をすることがどれだけ大事なこととか、十分、分かってはいますが、これがまたなかなか一つ縄ではすまないのです。
 ある会社で不要物を捜し、それを捨てるときの作戦”赤札張り”をやっていただいたことがあります。未使用の設備や在庫品を赤札の対象とする例の整理の手段です。そのときの今でも、記憶にあるこんなエピソードがあります。
副社長という立場の女性経営者が、急にむくれて怒り心頭、この赤札張りに猛抗議をされたのです。もちろん整理をめぐる5S活動の趣旨、その方法、他部署の素直な発想にこそ、「ものの整理」を判断するヒントである、との心構えも彼女をはじめメンバー全員に学んでいただいた上での赤札張りであったのでした。
 多分、他部署の不要物探しパトロール隊が土足でどかどか自職場に踏み込んできて、次々と赤紙を貼り付けていく様をなんと無礼千万な行為だと許せなかったのでしょうね。

 
会社組織にいると自職場では「常識」とされる行いが他部署の者にはなんと非常識な振る舞いとして映ることがよくあります。他の人が自職場をどう見ているのか、研修の際にもよく行う「部署間イメージ交換」は、本来やらなければならない役割使命を虚心坦懐、掘り下げるときに効果があります。赤札を張る人は「黄札」は持っていません。また使ってはいけないのです。とにかく赤鬼になって貼る作戦なんですね。

 
でもこの女性副社長のように、そもそも論を通り越して「赤札パトロール」をあたかも債権者の取立てもどきに見立ててしまうものかもしれませんね。
 他人がどう見てもこれは不用物(粗大ごみ)だろう、と判断しても当の本人には宝の山であったりするのはよく理解できます。一番整理できないのが自分の机の中なんですから。古今東西、整理整頓こそ、”分かるができる”に程遠いものはない、とも言えますね。

 
最近、あることでお年寄りの自宅を大掃除することがありました。まあ、よくもここまで物をため込んだものか、と部屋の様子を見て唖然、愕然、驚嘆のきわみでありました。なにしろ昭和の新聞雑誌から衣類の山までとても手の施しようもない有様。。
 しかしこれとて僕にとってはゴミの山に映ろうと当の本人からすれば思い出いっぱいの宝の山かもしれません。昔の人ですから「ものを大事に」という教えが徹底しているでしょう。それぞれの”もの”には彼女の深い情けも入っているでしょう。
強制的に捨てさせることもできません。かといって”もの”が部屋を占領し、部屋の主人を追いやった生活を続けさせるさせるわけにもいきません。
最近、独居老人が不要になった長年の生活用品に埋もれて、身動きのできないほどのゴミの山に下敷きになっている様子が報じられていますね。大抵のお年寄りは、いつか元気なうちに整理すればいいわ、との思いでついつい放ってしまう。体も思うように動かなくなり、大量のゴミに埋没してしまうようになると考えられます。

そんなかんだで、僕の中でちょっとだけ”整理をする”ということを考えてみています。
整理整頓が大の苦手である自分が言うのもおかしいのですが、これは意識してかからんとあかんな!と思うことがあります。
「ジャスト・イン・タイム」
「シンプル・リッチ」
という、心の整理です。
 前者は、例のトヨタ看板方式で有名ですよね。必要なものを、必要なときに、必要なだけ持つという生産活動の行動理念です。後者は10数年前、僕の愛車スバル・ビビオのイメージビデオのコピーでした。美しい北欧の金髪女性が、レンガを張詰めた通りをビビオに
乗って、軽快に買い物に出かけるシルエットが忘れられません。皆さん、イメージ想像できますか。僕だけのストーリかも(笑)。でもいいんです。

人間、確かにどんなに嬉しいことや楽しいこともかなた向こうの出来事として忘却してしまうのが自然なのではないか、と思うのです。そしてシンプル・リッチに過ごすことがとかく大事なことなんではないか、と思うようになってきました。
忘れてしまうこともまたよし、だから今をせいいっぱい楽しんだらいいんじゃないか、と。。。写真の1枚ぐらいは撮りますがね。大切なのは”もの”ではなく
嬉しい・楽しい・悲しい・寂しいに代表される人と人との悲喜こもごもをしっかり脳のひだに刷り込んでおくことではないでしょうか。心に響き、感性にぐっときた生の記憶をなるべく余韻として残していきたいです。
そしてそんな体験の一つ一つが、生活に潤いと余裕をもたらすシンプル・リッチな行き方につながるのではないか、と思っています。
ものの整理ということを強く考えさせられた大掃除週間の学びでした。