オフィス人事教育のふれあいブログ

2009.08.23

友達

朝夕、涼しくなってきましたねえ。そりゃあもう8月も終わりですもんね。
昨夜は地蔵盆ということで、団地の銀座通り(笑)にも提灯をぶら下げた夜店がいっぱい。色とりどりの浴衣に身を包んだ子供たちの黄色い声がわが家にも夜遅くまで聞こえていました。
 夜店といえば、やはり金魚すくいですよね。でもなかなか上手くすくえない。あっという間に小遣いが夜店のおっちゃんに吸い取られル。こんな苦い思い出が昨日のように思い出されます。
見かねたお母ちゃんが見本を見せてくれて、やっと1匹、2匹ととれるようになったものです。
 
 幼少の頃は、親に手を引かれていく夏祭りも、成長と共に同級生や近所の悪餓鬼どもと出没するのが楽しみになりますね。色気づく中学生ともなるとお目当ての女の子の注意を引き出そうと、涙ぐましい努力をしていたのがおかしく、今でも顔がにやけてきますよ。
 それが高校時代ともなってきますと、ひっそりと女の子と示し合わせて2人で男友達の前に登場する、この優越感がたまらなくなります。えっそんなん僕だけ・・。とてもとても手をつなぎながらなんて、そら恐ろしいことはできませんでしたが・・・。「一生一大のお願い。。お願い。。」と頭を下げたうえでの友情出演を了解してもらったことだけなんです。彼女にしてみればいい迷惑だったでしょうね。きっと。

 
 友達のイメージは、年とともに変わっていきます。皆さんもきっとそうでしょね。
男性として、結婚し家族を養い、子供も独立、やがて夫婦2人の生活に戻るときになってうちには妻という友達の存在に気づくことがあります。一緒に、人生谷あり、山ありの苦労を歩んだ「戦友(ソウルメイト)」とでもいうのでしょうか。
 
 松方弘樹が奥さんの仁科明子と別れた名せりふを僕なんぞはいまだに覚えています。詳細は忘れましたが、内容は、確か(多少の僕の造語はご勘弁を)
・恋愛時代は熱情、
・結婚前後の激情、そして合体・・、
・子育て時の暖かい友情前期、
・子離れどきには互いの尊重や信頼をベースにした友情後期、
・定年後は寂しさを思いやる同情、
・コミュニケーションが断絶するとなると諦情(あきらめ)
・後期高齢年齢となると憐情(憐れみ)に変わり
・そしてついには足腰動かぬ年齢における慈悲の情け(感謝とざんげ)
 
 ムっ! この変貌・・・。
 まっ、言い得て妙なり、と。

 夫婦の間はともかくとして、男性同士もやはり友情は変貌していくものと思っています。
まだ自信も生き方も定かでない学生時代や独身のときは、とにかく一緒にわいわいがやがやと寂しさを紛らわしたり、”あほ”なことを言い合って互いの結びつきを確認したりしていましたね。(同類合憐れむのたぐいで群れあう)
 結婚式にも多くの友達を招待していました。でも今、60を過ぎる齢になって、付き合っている友はたった3人だけですよ。

 
 少し前の産経新聞にこんな詩が載っていました。僕が友に求めたり、またこういう間柄が本当の友達ではないか、と日頃から思っていたことです。随分、符合していたので、大事に覚えていた詩です。

「言ってくれるようなあ
 痛いとこつくよなあ
 でも温泉の様に じんわり効いてくる
 何故かほろりと するんだなあ
 ああー
 そんなあんたにであった おかげで嬉しいよ
 なんとか頑張れたよ
 もうすぐ定年迎えます」

なんか、ぐっときません?
みなさんにとっては、友達はどのような存在なんでしょうか?
それぞれの人生、それぞれの暮らしともに、きっとそれぞれの友達がいるんでしょうね。