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2017.10.31
神楽月の夜に
11月の雅名は、神楽月(かぐらづき)って言うんですね。
そのほか霜月、菊月、雪待月、霜振月とやらもあるらしいです。
季語の挨拶用語にしても晩秋とか暮秋、向寒やら夜寒とも書くといいます。
立冬が7日で、小雪が22日というからほんと寒々しい言い方になるのも頷けます。
秋陽のつるべ落とし、日に日に陽も短くなっていきますね。
午後8時、戌の刻ともなれば辺りは真っ暗な闇。しかし月が満に連れてその闇を白々照らす秋の月夜。夜寒は身に染み静けさが覆う。どこからか儚げな篠笛の音が風に乗って漂う。
なんて、事を1人思い描くのは少々、現実離れの幻想でしょうか。
ほんと1年1年がスピードアップして、あと2月もすれば「あけましておめでとう」さんの年替わりです。
そんな思いの昨今、ある6か月がかりのイベントを終えました。飽き性の自分が唯一長続きしている稽古ごとに篠笛があるんですが、その演奏をさせていただいた機会に恵まれたのです。下手は下手なりに練習を積み重ねなければ上達は愚かとても人様の前で奏でるなんてできないことはどんな稽古ごとにも共通です。
月に2度、師匠について習っているのですがその同じ生徒さんに同じ年頃の男性がいて、私が「なかなか練習できなくてえ~。」「練習読本、みてなかったわあ~」なんて言うものなら「そんなん、いいわけできないで。もっとせにゃあ~!」とぴしゃり。
あまりにごもっともなお叱りに何も言えない事が 日常になりつつあります。
つい先日、持ち歩いている手帳の巻末ページに、今年の抱負として1日30分、音程の飲み込みと音出しに考えながら篠笛の練習をする!」とちゃんと書いているのにこの様です。
何事も継続する意思を持ち続けることのなんて難しいことか。
こんな意志薄弱な思いは、数えきれません。20代のとき大阪梅田の旭屋で「リンガフォン」という英会話レコードを買って「さあ~英会話の上達するぞ!」と意気込んで、今や
外人が近寄って何か尋ねられそうなときはす~と逃げるという情けない姿です。ピアノも男の子2人が途中、ギブアップしてもったいないから仕方なし自分が手習いを始めて2年間で放り出し。なんやかんやで何一つ成就していないのです。
努力、継続には必要に迫られないと重い腰があがりませんし何よりもやって嬉しい楽しいことじゃあないとできません。その意味では取捨選択は自然でいいのです、と言い聞かせています。
いつか御金のとれる篠笛奏者として名を馳せたいなどとは思いませんが、かれこれ7年、続いている趣味は大事にしょうとは思います。
練習しなくちゃ上手くならない。この至極当然なことを“あたり前”としてもっと素直に受け入れなくちゃなりませんね。どうも私にはこの素直さが欠けています。
でも楽しみなことが少しずつ身に付き始めています。楽譜を見なくても知っている曲は不安定ではありますが音程に添って指が動くようになってきたのです。
これは大きな変化です。人との比較で自分のレベルをみるともうさんざんたる状態です。でも自分の内なるビッフォー・アフターの小さな小さな変化。これに気づいたのは大きな収穫です。
さあ~て。秋の夜長、彼方岸の向こうの“紫の君”を訪ねて夜な夜な練習に励むとするか。